学校サボり気味

最近月水のELSクラスに行く気が起きずサボり気味です。一応授業がしょーもない、時間の無駄に感じるというのが建前となっていますが、どうもすっきりしないというか。実際授業はしょうもないです。この期からテキストが一新され、動画素材や音声素材、オンラインと連動した今っぽくて充実したテキストに変わったので期待してたんですけど、先生はなんかもー全然やる気なくて、ほとんどの時間をテキスト内の問題の答え合わせに費やされる。動画素材も音声素材も音読も一度もすることなく、ただ答えを言って終わり。
授業後に「今回の先生どう思う?」とクラスメイトに聞かれることも多々有ります。どう思う?って聞くってことはみんな不満があるってことだよね。「時間の無駄に思う。」とか「たまに死ぬほど退屈な時がある。」「でも先生は先生としてはどうかと思うけど人間は悪い人じゃなさそうだよね(自分でもなんだそのフォロー)」とかみんなもそう思っているらしい。困ったね。

あとはなんとなくイスラム国の一件が原因の一端を担っているような気もしています。日本では連日事件が放送されているというし、なんか事件を取り巻く複雑な状況がいまいちよく掴めないというか。もっと単純な話じゃないんかという心情。仲の良い台湾人と昨日ランチした時「なんで殺害されたジャーナリストのお母さんが謝ったのか」という質問にうまく答えられず。一緒にいた日本人の友達とも私は意見が違うので、相手は不思議がっていた。
私の意見としては、前提として

  • テロが一番悪い。
  • 政府が渡航をやめるようにと注意を促していたとしてもそれは今回の件には関係ないように思う。なぜならそれがジャーナリストとしての彼の仕事だから。
  • 日本でのメディアの報道のあり方が、アメリカにいるとよく分からない。
  • 日本政府が状況と、メディアと、世論をコントロールできず、間違った対応に時間を費やした。(んじゃないかと予想。国として国際的なテロ事件に慣れてないということ。)
  • ジャーナリストの母親のパーソナリテイが状況を複雑にしている部分があり、加えてネット上には今回のテロを茶化す動きがあって、それは日本の文化的背景が原因だと思う。要するに好感が持てない人物であったという謎の理由で被害者と被害者の家族がなぜか批判された。間違っているがそれは大きな意味で日本の文化に由来する気がする。
  • 個人的には殺害されたとする二人の人物は同じテロ事件に巻き込まれたので報道に差がつくのは間違っていると思う。日本における報道の違いはなぜかは不明。


外国の人に日本にいる感覚で軽はずみなことは言えない。例えば「宗教にかぶれてる」(例えばです。)とか「職業上の違いにおける報道の差」とかテロに対する被害者に対して「自己責任」というようなことに言及するのはすごい変。アメリカは特に思考や言語が論理的なので、そういう部分すごい違和感がある。自己責任の概念はわかります。あります私にも。そんな格好してたらレイプしてくださいって言ってるようなもんだとか。車に貴重品入れっぱなしにして鍵もしてなけりゃそりゃー車上荒らしにあっても文句は言えないとか。そういうことと、テロリズムの対国や世の中への憎悪連鎖やその影響について・・・何が違うかは説明できない。違うよね。違わないのか?わからん!

日本人は他国のことを知ろうとしない。宗教や戦争についても知ろうとしない。とにかく勉強不足勉強苦手なんだと思う。「世界の中の日本すごい!日本人最高!」って言うのがすげー好きだけど、日本を一歩外に出るとそんなこと思ってる人誰もいねーから!マージで誰一人いねーから!むしろ幼稚で自己主張できない変な人たちって思われてるから!ってまーそれはいいとして。
上にあげた自分の考えをまとめて、英語で伝えるのがすごく大変。今クラスで一番仲良くしてもらっているのはイラン人の夫婦。中東の人って本当に人情に厚くて、親切で、親日と言われているけど本当に誰にでも優しい。それがイスラム教という宗教観からきてるのかどうかは知らないけど、なんとなく正直に言うと後ろめたいです。なんでだろう。なぜかわからんけど日本人として恥ずかしさを感じる。なぜかしら?わかりません。あと「日本人の人質、ニュース見たよ。残念だね。」とかまあたまに言われるとなんて言っていいか分からない。(そうやって声をかけてくれたのはこれまでタイ人の若者と仲良しの台湾人の二人だけです。)特に何があるわけではないんだけど、気持ちがすっきりしないというか、退屈な授業と、誰かに何か言われたら嫌だなとか天気が良くないなとか、そういう理由でサボり気味です。←もうこれがモヤモヤしてるでしょ?そんな感じ。